ざんげ話

もと、私は吉永くにと申す者でした。今では井出くにと申します。

私のような者が本を出すというような者ではありませんが、なれども、つい世界の人が私が神様やとか天理教二代目教祖様やとか、親様やとか、天の月日の神様やとか、金光教(こんきょうきょう)の神様やとか、大本教(おおもときょう)の神様やとか、耶蘇教(やそきょう、キリスト教)の神様やとか、いろいろの神様のことを申して人が来ます故、新聞に載せようとか、雑誌に載させようとか、いろいろのことを言ってたくさんの記者が来ます故、何を載せてもらおうというようなものはなし。実に困ります故、私のざんげ話を皆様に聞いていただきました。

善きことも少しもありますまい。なれども今年六十四歳にもなる年寄りのこと故、ふびんをくわだてお聞き取り願いとうございます。


けいず(系図)について

井出家の先祖の系図でございます。

みやさまよりいただきました。

書き物や着物、また先祖が着なさいましたえ帽子、したたれなど、いろいろの宝物。大体伝わって在りましたが、三十年ほど前に日ように珍しく大火(おおび)が出まして丸焼けになりました。その時数々の宝物がみな焼けてしまいました。

そして、十八年前に神様の仰せで家を建てます時、まえの藪(やぶ)の中から火事の時に投げ出してあったままわからんだ系図(けいず)の巻物が、はじめのほうは幾分か焼けてなく、また片方は腐(くさ)って落ちたくらいになったのが出てきました。

拾い上げてそれを見ますと、清和天皇様より出られましたとおもう源氏の大将八幡太郎義家(源義家)からずっと続いていることが記してありました。

私の先祖は、武田信玄より続いてある家筋で系図はございません。なれども播州加西郡かわはら村金川もとときというので、子孫は今に続いております。

(みこころゑのはなし・完)