天皇に対する卒直な心

親様と天皇の特別な関係がある理由は、何といっても「心のはらい」の中で、

一には、天照大御神を祈り奉る 二には、明治天皇を祈り奉る という祝詞(のりと)の言葉である。

明治天皇 1873年(明治6年)内田九一撮影

天照大御神(あまてらすおおみかみ)も明治天皇も、天皇家のみならず、天皇制の下で暮らしてきた日本人にとっても忘れてはならない神であり、天皇制の大黒柱のような存在である。

親様は、すべての人は「神が送り出した子ども」といっていた通り、どんな人も差別なく慈悲(じひ)の助けを施(ほどこ)してはいたが、まことを尽くして神を信じ、神を祈り、神を礼拝(れいはい)し続けてきた。天皇家という世襲(せしゅう)の日本国の神主(かんぬし)に対してだけは特別の思いをかけていたのかと思う。


昭和十九年になると、東京の信者たちが、みんな空襲や敗戦の不安に怯(おび)え、東京を逃げ出して、生まれた地方や田舎への疎開の可否を親様に尋(たず)ねると、

「天皇陛下のお膝下(おひざもと)で長い間、結構な暮らしをしてきたではないか。それなのに、天皇陛下を置いてきぼりにして自分らだけ東京から逃げ出そうとは、卑怯千万(ひきょうせんまん)や。東京を逃げ出して何処(どこ)へ行こうというのや。逃げて行く処(ところ)は無いのではないか」

「死ぬのが怖(こわ)いか。いざとなったら夫婦子どもみんな、一緒に死んだらええんや。怖がることは何もない」

「みんな踏みとどまって、天皇陛下と一緒になって東京を守りなはれ。みんなのことは、神さまが焼けんよう、あんばいよう守ってやるぜ」

親様が、天皇陛下のことを特別に持ち出した数少ない話である。


(親様の、天皇陛下に対する卒直な心を表明した直筆が残っていますので紹介します)

天皇へいかの ごいとくお しらずに くらす そのものは まことの みちお しらぬもの

まことの みちお しりたなら 月日の みちお まもるへし

月日の みちお まもるなら 明治の みちお まもるなり

明治の みちおば まもるなら まことの みちお まもるへし

まことの みちお まもるなら せかいの かがみに なるのやで

せかいの かがみに なるのにわ ふうふお 月日と まもるへし

まもるなら これこそ まことの かがみやで

(この直筆は、昭和の初期に書かれたもので、朝日神社の旧神殿の欄間と東京朝日神社に掲げられていた)

そうか、空っぽになって、よかったなぁ