上海事変、日中戦争、第二次世界大戦、原爆投下を予言

ここで、井出クニ自身の予言についても記しておく。

予言といえば、大本教の出口なおや出口王仁三郎(でぐちおにざぶろう)の数々の神示(しんじ)や『日月神示』の岡本天明(おかもとてんめい)などが有名であるが、クニもそうした人物に勝るとも劣らない卓越した予言者であった。

日本が、アメリカと戦っても勝てないことを、クニは大正九年という早い段階で予言してた。

芹沢真一(せりざわ しんいち)大正七年に初めてクニに会って以来、その信奉者となり、貴重な記録を残した。

昭和六年十一月十五日の時点で、クニは芹沢真一にこう告げている。

「中国の大きな川の三叉(みつまた)の港で、日本の兵隊と中国の兵隊が戦うことになると、えらいことになるぜ」と。

芹沢が「それは、上海(シャンハイ)のことですか?」と確かめると、「そうか、そこを上海というのか?その上海で何年かしたら、日本と中国の兵隊が撃ち合うことになるんや。そうすると、日本と中国が国を挙げて戦うことになるんや。いいか、そうなれば日本と中国はいくら戦っても片付かんようになるんや。そして、しまいには世界が二つに分かれて戦うことになるんや」~ お気づきのことと思うが、日中戦争と日本の第二次世界大戦への参戦、さらに戦後の東西の冷戦構造の訪れすらクニは予言していたのだ。

クニのいう上海での日中の戦いとは、昭和七年の上海事変(シャンハイじへん)である。

この上海事変を皮切りに、昭和一二年の日中戦争を経て、昭和十五年の日本軍による真珠湾攻撃による太平洋戦争が勃発するのである。


昭和六年にクニは、満州が翌年日本の領土にはなるが、戦後、満州を失うこと、さらには韓国も日本から独立してしまうことを予言していた。

昭和十八年には「(日本は)勝った、勝ったといって、いくら外国の領土を占領しても、日本は占領した土地の『心』をとることができんから、つまらん。土地ではない、人の心をとるんやで」~これは、日本の植民地政策に対する批判である。

そして昭和十八年には、次のような重大な予言をしている。

「昭和十九年の二月までに戦争が終わらんと、日本は以後、二、三百年、外国に頭が上がらんことになる」

つまり、アメリカとの講和を急がないと、日本の前途は暗澹(あんたん)たるものになると警告している。確かに、戦後日本の外交方針は、基本的に低姿勢だ。しかし、今後もそれが続くと明言しているのある。

ところが、昭和十九年に末に、クニはこうも述べている。

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