夫婦は、神様どうしになりて

大正十五年版の「みのこころゑのはなし」の中で、

夫婦は、人にならず、神様どうしになりて、互いに信じあいをして、その日を睦(むつ)まじく、心祈るべし。神の、元の説き方は、男は水の神様、女は火の神様、と、仰せになりました。

神が世に現れたからには、これから先は何時(いつ)でも人間に、神の声を聞かせてやるぜ。

朝、目が覚めたとき、ふと聞こえてきたら、それが神の声と思ったらええ。と。仰せになりました。

親様に、漁師のことを尋(たず)ねたことがある。漁師は商売で魚を捕るのいいぜ。その魚を売って美味(うま)いといって皆が喜んで食べてくれるからなぁ。しかし、商売でも無いのに、魚や鳥、獣(けもの)を殺すのは罪(つみ)になるぜ。それは、殺すことを楽しむ殺生(せっしょう)というもんや。と、仰せになりました。

また、植物についても尋ねた。

親様は、植物が初めて水の中から這(は)い上がって、土の上に取りついてからの苦労に比べたら、人間、お前たちの苦労などは何でもないぜ。人間は、今やっと、平らな野原に出て、安全に暮らすようになったばかりや。人間の本当の生活はこれから始まるんや。始まったばかりや。そして親様は、水と火の働きで空気が地上に溜(たま)るようになってやっと、人間も地上に生まれることになったんや。神様は偉い苦労をしたぜ。といって、四十五年の間空気の大切さを説き続けていらっしゃいました。


人間というものは、何も男やから、女やからといって違ったところは一つもない。男には功を尽くすの針一本、女には結構な着物を仕立てて内々を助ける針一本を、天から授けて貰っている。その針の穴だけの魂を使うて通れば結構なれど、それを、身体一杯に使うがゆえ、道が歪(ゆが)んできている。と、仰せになりました。

「身上は心の鏡という」と申されている如く、親子でも夫婦の中でも、兄弟と皆銘々に心違うぜ、と仰せになり、水と火とが一の神、水火風の外に神はない。胎内へ宿し込むのも月日なり。生まれ出すのも月日の世話取りの如きは、すなわち生死は、神の権能(けんのう)に属することを歌ったものと、仰せになりました。