教祖(親様)の人格と思想

人格と思想とは、遥かに、神秘とか、奇跡とかの後に、駆逐(くちく)されつつあるのです。

我が身を捨てて、万人を助けんとする広大無辺の愛であります。

我が身を降ろして、万人を立てんとする、精廉潔白(せいれんけっぱく)なる、謙遜であります。

神のために、一身一家を犠牲にして、顧みざる大信仰であります。


親様によって、初めて、前進の光明を与えられたのであります。

実際、親様の傍(そば)にあると、一切の煩悶苦悩(はんもんくのう)を忘れて、万物を育てていく、太陽の陽気に包まれたような気がします。

従って、何時まで経っても、その傍らを、離れる気が起こりません。

ここが確かに、万人の母たる所以(ゆえん)であると思われるのです。

親様は、あらゆる人間を、幸福(しあわせ)ならしめんとして、日夜、神慮(しんりょ)を巡らさるる、神の慈悲、人間の難儀を救うためには、如何なる辛苦も、厭(いと)わせられぬ、神の大慈悲(だいじひ)、万物を慈しむ優しさが、脈打っているです。


親様は、慈悲に於(お)いて、その頭が低く、優しい心において、古今稀にみる徳望高き方であります。

何人(なんびと)に対しても、自分の子どもに接するが如く、馴れ馴れしくお話になり、その上、近傍(きんぼう)に行くと、慈母(じぼ)の傍にあるような気がして、信者の方々は、言うまでもなく、一般の人々も、何時までもそこから離れることが出来ません。

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