人を助けて恩に着せるでない

助けする道やから、助けたらよい。人を助けて恩に着せるではない。借りたものを返すことにすればよい。

人は病気にでもなれば、直(じき)に医者や薬やと言うが、人間生まれる時には医者も薬も関係がない。人と人との真心でできたんやから真心になれば助かる。と、仰せになりました。

腹の立った時には、自分のからだの大切を思い、常々(つねづね)の話を思い出して、心を安らげ自分の心が助かるのや。腹の立った時には誠を出す。自分のからだは借り物であるから、身を病(や)まぬようにして返したいと思う。そういう心の広道(こうどう)を通らねばならん。今日結構やと思うても、寝る先々(さきざき)を案じていては寝られん。昨日はもう済んでしまっているし、明日は雨やら天気やら、また、自分が病気になるのやら、また死ぬのやら分らん。だから、心の細道を通らず、心の広道を通ればよい、今が結構やと思うのが広道や。と、仰せになりました。

神様は人間をお造りになった。これが神様一条、神様が人間の身上(しんじょう)をお建てになった。これが、誠の普請一条(ふしんいちじょう)でございます。家には裏門と表門がございましょうがな。人間の身上にも裏門と表門とがございます。それを境界するものは何でございますでしょうか。口中の舌が人間と解かして頂きます。この口中の舌によって違う。この口中の舌を結構に出入りさして頂くのが身上の徳でございます。と、仰せになりました。