人間の尊厳を説いた

親様は、一度は人間の尊厳を説かれた。

人間というものが、どうして生まれたか、誰にもわからん。いつ、人間が、女(ひと)の体内に宿るのか誰にもわからん。人間が、人間を造るのとは、違うぜ。人間は、どんなに偉(えら)くなっても、人間を造ることだけは、できん。

人間というものは、いん水という水が、けい水という血にまかれて宿るのや。いつ、どうしてかは、誰にもわからん。そして、空気に誘(さそ)われて人として生まれ出るんや。

生まれ出るまでは、男か女か、誰にもわからん。生まれ出たからとて、いつ死ぬのやら、誰もわからん。そのわからんところが尊(とうと)いや。この世の中に人間ほど尊(とうと)いものはない。わかっていることは、死ぬことだけや。だから、一日と言えども、尊(とうと)い我が身を大切に祈り、人(他人)もまた大切にして通ってくだされ。頼(たの)みます。


親様に、心とは何かを、お伺いした。

「心」とは、人を書いて、チョンチョンと点を二つ書くやろ。それが心やないか。

「心」とは、人を書いて、いろはの「い」を入れるやろ。いろはの「い」は、はじめではないか。また「心」とは、人が点を二つ抱(かか)えているように書くが、二つの点とは「月日」や。月日が人の中に入り込んでいるのが心や。と仰せになりました。


人間の魂(たましい)のことを尋(たず)ねた時、親様の言葉は、胎児(たいじ)は生きものではあるが、人間ではない。胎児が月満ちて、胎内から無事に生まれるやろ。そして、空気を吸ってオギャーと泣くやろ。それからが人間や。だから、二、三か月の胎児をおろして闇(やみ)に葬(ほうむ)るは、人を殺す罪にはならないぜ。しかし、人を殺す罪にはならんでも、自然(天理)に背(そむ)く罪にはなるぜ。胎児が胎内から出て、オギャーと泣いて空気を吸うとき、はじめてその空気にそって、魂が赤子の中に入るんや。それからが人間や。と仰せになりました。