高木という村は

(その当時)高木という村は、百二十軒ばかりの村であるが、その中に八軒が天理教の講社(こうしゃ)で、後は、みんな親様の信者である。

毎年10月に開催される三木の秋祭り。高木屋台

高木の村人が、婿(むこ)をとるといってお伺いに来る。嫁をとるといってお伺いに来る。家を造るといってお伺いに来る。田地(でんち)を買うといってお伺いに来る。株を買うといってお伺いに来る。中には、奇抜(きばつ)なのは、西瓜(すいか)の番人まで親様に頼みにくる。親様は、人のためになる事ならどんなことでも丁寧に指図し、願いも聞き届けておやりになりました。


ある時、その中の一人の姑(しゅうと)さんがやって来て、「うちの嫁は誠に邪慳(じゃけん)で困る」と言うて、嫁さんの悪口を散々(さんざん)並べて、この嫁は追い出したもんであろうかと親様に尋(たず)ねた。

すると親様は、「そんな鬼みたいな嫁は、早速出したほうが良い」とお指図を与えた。姑は、自分の思惑(おもわく)通りのお指図なので、早速帰って嫁を追い出す手段に取り掛かると、今度はその若夫婦が、「こちらの教祖は、私の事を鬼のような嫁だと言われたそうですが、どこが鬼の様であるか?聞かせて貰(もら)いたい」と言って親様に喰(く)って掛かってきた。

その時の、親様の返答が、実に味深いものである。

「わしは知らん。知らんがわしが思うには、多分その時のお前さんの心が「鬼」の様であったから、神様がそう仰せになったのであろう。けれども、只今のあたなの心は実に結構だ。そうか、その心をいつまでも忘れぬようにして貰(もら)いたい」と。

結局、その村人らは、どちらの神様も傷(いた)めずして当意即妙(とういそくみょう)のこたえを与えられたのである。

親様の神様は、切る事が嫌いな神様である。どんな事情の中をも、繋(つな)いでやろうという大慈大悲(だいじだいひ)の「つなぎの神」である。