むかしばなし

わたくし七才のときであります。その時には昔の札でいうならば、米一升(いっしょう)三十三匁(もんめ)した時がありました。その時には、人一にん向こうで食べさせてもらい、一日に八分より当たらん時がありました。

その時には、食べることも出来ぬ故(ゆえ)、あぜの草や笹のはらやみなむしりて食べました。金がありましてもお米が無き故、お金を枕にしてたくさん人が死にました。それを思えば、明治の栄えるためには只今(ただいま)のこの結構な世の中を通らしていただくのも、みな明治天皇さまのお陰(かげ)故、皆さん夫婦仲良くして精をだして働いて、一厘(いちりん)の金でもためて我が国を大切にせねばなりません。

昔、徳川様の時には国々にお殿様がありまして、領分(りょうぶん)の違いということで、私の家が明石のおしたお隣が姫路のおした。姫路のおしたに米たくさんありましても、明石のしたに米のおて(なくて)、食わんと死にます人ありましても、となりで一合(いちごう)も買うことが出来ず。ついには人がたくさんひ死にました。それを思えば、只今はお国にお米が棚足らないでも、あっちこちらで取り寄せて不自由なきようにしていただき、これを思えば勿体(もったい)ない。

明治の御恩(ごおん)を忘れぬよう、我が国を大切に忘れぬよう、必ずまことを忘れぬよう、神こころはまことにあります。

わが国を大事と思うなら、人を恨(うら)まんようにせよ、心のまことがひかりくるぞや。


わたしは、人さんがわたしのところへ助けてくれというてお越しの時には、みなさんに、昔はこういう難儀(なんぎ)でありました故、どうぞみなさん毎日喜びおして暮らさなければ勿体ないというてお話をします。

みなさんの病(やまい)の出来ぬように教えおります。別に病というものは出来るものでも、心の使い方によりまして直ぐに治る方がたくさんありますと思います。

わたくしは今までに申しましたように、神さまを信心(しんじん)したことが無いと申していますけれども、それは母が亡くなりましてから後のことであります。

(続く)