じゃんじゃん火

じゃんじゃん火は、奈良県各地に伝わる怪火・鬼火(空中を浮遊する正体不明の火の玉)の一種とされています。「じゃんじゃん」と音を立てることが名の由来で、武将や心中した者などの霊が火の玉に姿を変えたものといわれており、同じ奈良でも地域によっていろいろな伝承があります。

天理教本部がある「おぢば」(奈良県天理市三島町)においても、かつてじゃんじゃん火と呼ばれる怪火が出没していたといわれています。

主に真夏の深夜、おぢばの東南四キロ程のところにある城山(天理市柳本町の東にある竜王山)の中腹から一つの大きな火の玉が飛んで来たといわれています。その火の玉は、天理教本部の北にある豊田山の石峰に飛来し七つに分裂。明け方を迎える頃には再び一つに合体して城山の方向へと帰っていったとのことです。


今村英太郎氏(治文分教会初代会長)によれば、親里館郵便局の近くに高い楠木(くすのき)があり、よくそこにもじゃんじゃん火が飛んで来たといわれています。今村英太郎氏の説によると、城山に城を築いた十市遠勝という城主が筒井順慶の軍勢と戦って城を焼き討ちされてしまい、城に籠城していた十市軍勢の武士が「残念、残念」と滅んでいき、怨念(おんねん)となってそれが「じゃん、じゃん」と聞こえるようになったとしています。

また、天理大学名誉教授の高野友治氏は別の説を唱えています。

十市遠忠(遠勝の実父)が松永久秀の軍勢に攻め込まれ、籠城していた者達は全員が焼かれてしまい、その怨恨が残って深夜ともなれば赤い火が立ちはじめ、戦いの際に打ち鳴らした鐘と雄叫(おたけ)びを伴っているというものです。だが、高野友治氏は、この山上の城で一族郎党がことごとく焼き殺されたという説は史実(しじつ)ではなく、十市遠勝が滅んだのは十市郷での出来事であると説明しています。


じゃんじゃん火のことかどうかは分かってはいませんが、中山みきと火の玉に関わる不思議な話も残っています。みきの姪(めい)であった細川なほ子の話として、みきは夜遅くなっても提灯(ちょうちん)を持とうとはしなかったということです。「私の先には、火の玉がいくから提灯はいらない」と言っていたといいます。