わしは、どうしたら人が助かるのやと思うたことはない。助かる人はみんな助かる。人を助けたいと思うているだけや。
助けてもらう誠があれば、助けて頂く誠がある。
人を助けたら、よいか悪いか知らんけど、人を助けたいのが、わしの病や。わしは一つもよいことをせなんだから、罰(ばつ)が当たったんやと思うている。と、仰せになりました。
なんぼ信心(しんじん)したとても、病の元は心からや。人は、みな神様やと思えば腹が立たん。腹が立たんだけ自分の徳(とく)や。何事も取り分けて、その日を大切に守るとよい。人を神やと教える道は、世界誠の道になる。と、仰せになりました。
何でも、自分が悪かったと決めておけばよい。神というものは、祭ってあるのが神ではい。みんな神というものは、人の真心(まごころ)を祭ってある。神というものは、天と、地と、世界の風とが神にしている。天はどのように高いやら、地はそれだけ深いやら分らん。また、風はどこから来てどこへおさまるやら分らん。この三つを神としている。
天と地とは自分の身体で、息が世界の風や。風が神であるから、言葉が神や。信心信仰ということは、信心とは人のことを信ずるのが信心で、信じ合いをするのや。
信仰とは、身に功を積むことや。自分を悪い者にしておくと、自分に徳が授かる。人が悪いと思えば腹が立つ。それで、自分が悪かったと決めておくと自分の徳や。自分が賢い、偉い、よいと思えば人のことで腹が立つ。自分は阿保や、馬鹿や、自分が悪いと思えば腹は立たん。
自分は馬鹿だからと定めておく。人を敵にしてはならん。敵倍と思うて、敵を味方にとって下から行く。味方は敵と思うて油断なく通るようにする。味方は、こちらの秘密すべてを知るから、それで味方は油断できない。と、仰せになりました。
「何事も堪忍が福の神 楽しみや」と読める。