裁判にかかり、予審判事さんに私の振動を見ていただきました。
身体がきつく動くのをよく見ていただきまして、一圓七十五銭の旅費をもらいました。そして「私が人様を助けたら罪がありますか?」と申しましたら、予審判事さんは「天のみとくが感じられた。あたなのお気に召したようになさったらよろしい。別に罪はありません」と申されました。
そして帰りましてから、人様が助けてくれと言われますので、撫(な)でたりさすったりしてお助けをさせていただいております。別に神様は何の神様ということなしに、天照大神と明治天皇様とを祀(まつ)らしてもろております。
何度も、自分が天理教廻国する時に、どうぞ天理教を廻ってくれ、まことのものを調べてくれと、そういうことが夢の如(ごと)くにありましたのは、自分が気違いか阿保になったのかわからず暮らしております。
この書留郵便受け取りの写真は、天理教本部へ教祖二十五年祭の時に、私が少し具合が悪かったので、お願いがありまして私の写真と郵便切手十枚を入れて手紙を出しましたが、何の返事便りもありません。その時の受取であります。
遂には、天理教の二代目教祖やとか親様とかになり、みな人がそう申します。
そうこうするうちに、天理教三十年祭という話が出てきました。するとその時「ただ一遍(いっぺん)だけ本部へ参って下され」ということが夢のように聞こえまして、実に知らんところにお参りいたしました。
そして、天理教の教祖殿の前にすわり、これから私が人をお助けすると遂には申しました。
そうしましたら、天理教本部員の鴻田(こうだ)という人と春野(はるの)という二人の人が、教祖殿より廊下を七部どころまで引き摺(ず)りまして、私の身体を爪(つめ)ったり叩(たた)いたりしましたが、実に身体が痛みましてたまりません。
この写真は、天理教三十年祭の年に本部へ行きまして、教祖殿の廊下から引き摺(ず)りおろされた時の破(やぶ)れた着物姿であります。
そしてその時は、上田という区長さんの家まで帰り世話になりました。それから遂には「福井屋」という宿屋に泊まることにいたしました。
それから天理教本部は、私のえらい傷を差しおいて、丹波の警察へ届けましたので、動かれへんのに私は警察に呼ばれまして引っ張られてしまいました。
私がえらい目に遭(あ)わされましたのに拘留(こうりゅう)するのとのことであります。拘留をしていただければ結構なことやと思うていましたら、「帰れ」とのことでありまして、遂に福井屋に帰ってまいりました。
(続く)