母に聞いてみると、「入院するというので、念のためもう一遍診察してもらったら、何ともないから帰っても良いと言われた」というのである。
「あれほど大騒ぎした精密検査は、一体どうなったんであろう。それこそほんとに狐(きつね)につつまれたような話であった」と小田は語っている。
夥(おびただ)しい数の霊媒(れいばい)や霊能者との付き合いや接触があった小田が、クニを「神様」と呼んで崇敬の念とともに回想していることは、誠に興味深いものがある。
井出クニの病気治しといえば、独特の特徴があった。
頭痛持ちが助けにもらいに来ると、クニの頭が痛くなった。脚が曲がらなかった者が来たときは、その者が治る代わりにクニの脚が曲がらなくなったこともあった。クニからお救けをしてもらうと、その病人は癒される代わりにクニの身体がまったく同じ病状を呈したという。扁桃腺(へんとうせん)を腫らした者が頼ってきたときは、たちまちクニの喉(のど)が腫れあがり、そばにいた者を驚かせたという。
もっとも、同じ病状を示すといっても、ほんの短い時間だけ苦しむだけで、直ぐに元に戻ったもであるが、「世間の人は、神の社になることは、ああ結構なことと思うかも知れないが、神の社になるほど辛(つら)いことはない。私には世界中の人間の埃(ほこり)が集まってくる。それで朝起きた時はだるうてだるうてならん」(大平良平編『新宗教』)とも話していたという。
芹沢光治良も、クニの病気治しに限らず、その言動に決定的な影響を受けていたが、それは生涯を通じて変わらなかった。
「この世に会った人で、あんな人は二人といない。キリストや天理教教祖はこんな人だと思った。今でも全然わからないことが数多くある」(田村正義著「播州の親さんについて」)と語っている。
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