恐ろしいばかりの予知能力をもっていた──
神秘に満ちた特異な霊能者
上田 ナライト(うえだ ならいと)
1863~1937年
中山みきの寵(めぐみ)を受け、本席飯降伊蔵にも認められた天啓の継承者上田ナライト。
異常な振る舞いや意表外の言動により、周りから畏怖されるようになるが、すべてを見透かす能力は驚くべきものがあったという。
日本でも稀に見る特異な霊能者であったが、その名前を知る者は天理教以外では皆無である。否、天理教でも中山みきの霊統を正式に受け継いだ人物であったにもかかわらず、その全貌(ぜんぼう)はほとんど知られていない。
特異な霊能者という大きな理由は、世界の動向や異変がその身心に前もって反映されるということであった。悪い流行病や大事件が起こる前には、必ずナライトの機嫌が悪くなり、気が荒くなったという。そうした出来事が重大であればあるほど、それに比例するかのように不機嫌の度合いが激しくなり、時として意表外の言動に出ることもあった。そのため、ナライトにそのような現象が現れると、仕えている側近は内外に近々何か良くないことが起こると分かったというのである。
たとえば、明治三十六年の日露戦争の前から体調の異変と不機嫌が続いていたが、戦争の最中には興奮冷めやらずといった状態で「戦争へ行ってきたら、えらいことや、黒土になって激しなっとる」と述べている。もちろん、ナライトは生身(なまみ)の体で戦場へは行っておらず、自ら霊体化して見てきたというのである。しかも、戦争が終わる頃には「(戦争は)おさまる、おさまる」と強調し、それから程なくして大戦は治まったのである。
また、大正三年の春頃から神経が苛立(いらだ)ったように落ち着かなくなり「人がぎょうさん死んどる。ほれ、あっちも、こっちも・・・」と不気味なことを言うようになった。一体何を言い出すのかよく聞いてみると、「えらいこっちゃで、あんた、人がぎょうさん死んでいるのや、なんと酷(むご)い・・・」と恐ろしげに繰り返すばかりであったが、間もなく第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したのである。
人の死も、事前に予知していたといわれている。知人の誰かが死ぬ前には必ず、自分の髪の茶筅(ちゃせん)の根元に白紙を巻き付けるのである。ピタリと当たるので、気味が悪いということで、側近が後ろでに回って取っておいても、いつの間にか付けていたという。
人間が死ぬという天命はどうしても避けられないことを示していたのであろうか?死の予知に関してであるが、場合によっては自宅の塀(へい)や手すりのつかまり、その人の家や病院の方向に向かって一心不乱に「〇〇さん、しっかりせえ!」と叫び出すこともあった。そのような挙動の直後、きまって当人の訃報(ふほう)が届くのであった。
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