教祖の代理として親神の言葉を伝えた──
みきの血統を継承した「若き神」
中山 こかん(なかやま こかん)
1837~1875年
中山みきの霊能的な資質をもっとも受け継いだ末子こかん(小寒)。
「神の社」のもとで、天啓者として心性が養われ、ついに「若き神様」と崇敬されるまでになった。
天理教祖・中山みきが「若き神」として認め、自分の後継者として将来を大いに嘱望(しょくぼう)していたのが、中山こかん(小寒)であった。
天保八年(一八三七)十二月十五日、みきの末子(五女)として生まれたこかんは、神意(しんい)を言葉で取り次ぐことが出来た啓示者(けいじしゃ)であったとされる。シャーマニックな要素があったみきの資質も最もよく受け継いでいたのが、こかんであった。
みきの在世中(ざいせちゅう)で、親神の言葉を伝えることが出来たとされているのは、みきを除けば、こかんと、後に本席と称されることになる飯降伊蔵(いぶりいぞう)の二人だけだったことからも、いかにこかんが重大な役目を担っていたかが想像できる。
こかん(小寒)の名の由来は、二十四節気のひとつの「小寒」にもとづくといわれている。みきによれば、こかんは国狭土命(くにさづちのみこと)の霊を受けて生まれたという。国狭土命は人間の身体に関しては皮つなぎ・女一の道具(女性器)を十全(じゅうぜん)に機能させ、世界(自然界)では金銭・縁談・万ずつなぎの一切に関わるとされる。
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