天理教教祖中山みきの墓地で

そのうちに起き上がり帰ろうとしていると、静子はクニを「叔母(おば)さん」と言い出してどうしても帰そうとしない。

そこで、クニは紙と筆を借り、「いでたちきたる故郷や 迎ひに来たか真心で また立ちかへる真の火柱」、「教祖の帰るを日々待ちかねて かへらわからん思ふはふびんや」の二首の歌を書いて手渡した。

同年八月十四日、ふたたび神の命令により天理教教会本部の教祖殿へ行き、自分の写真を同殿の大三宝の上に立てて、東向きに坐(すわ)った。そして「これから、わしがお助けをする」と宣言。そのため、本部側の人間と押し問答となり、天理教本部員の鴻田(こうだ)と春野(はるの)の二人が、クニを教祖殿から引き摺(ず)り出すという事件もあった。

本部では、井出クニを「悪魔」と見なし、二十一編の悪魔祓いのおつとめをとり行ったという。

『天理教史参考年表』(高野友治編)にも見える「播州(ばんしゅう)の井出クニの謀叛(むほん)」でる。

天理教教祖殿の廊下を引き摺りまわされて、破れた着物姿の親様

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