信者様の記録から、親様の教えを読み解きます。
喜びの栞(しおり)
広島県呉市 桂川 節子 様
親様は、先の苦しみを待つような、せまき心がいじらしい。欲(よく)の心がいじらしい、と言われている。先々のことは考えず、只今を先ず結構と喜び、他人にも共に喜んでいただいてこそ信心(しんじん)をしている甲斐(かい)があるというものです。
神は、人間が楽しく喜べるよう一切(いっさい)のものを造り与えられています。だから、例(たと)え悪いことに当面しても、これを喜び感謝して過ごさなければならない。毎日健康で働かしていただいていることを感謝しないで、何に喜んだら良いのかわかりません。
気位(きぐらい)の高い人は、優しい言葉が出てこないから喜べない。気持ちの落ち込んでいる人はいつでも喜べる。自尊心(じそんしん)の高い人は、他人の心を苦しめることが多いかも知れない。それでは喜ぶ道にはならない。気位や自尊心の高い人は、何事も堪忍して他人を思いやるよう努めて欲しいと思う。
先ずは、自分自身が喜べるようになったら、その喜びを他の人にも施(ほどこ)すようになりたい。親様の教えは、夫婦の円満、家庭家族の円満をもととしているので、第一に我が妻、我が夫に喜んでもらい、次に一家の家族達を喜ばせ、喜ぶように努めてゆけば夫婦家庭は円満におさまり栄えてゆくでしょう。
親様は、人が神だ、と云い、一家は神の御社と、云われている。
夫婦は勿論(もちろん)、親は子を神として拝(おが)み、また子は親を神として崇(あが)め、お互いが神様全志(かみさまぜんし)になりて、打ち解け話し合ってこそ一つ屋根の下に住む一家であって、こんな幸福なことはないと思います。
神の道、信仰の道は喜びばかりで不足はない筈(はず)です。人間は悪いことに当面するとすぐに悲観(ひかん)し、悪く悪くとらえるから悪いことが続くのであって、悪いことでも良くとり、苦しみも悲しみも喜びにかえてゆこうと努めるのが信仰でありましょう。
借りて喜び、貸して喜び、買って喜び、売って喜び、喜ばれるようにならなければならい。
(「誠心」昭和四十四年七月十五日発行)