無事凱旋したいと願いに来た兵隊に

親様はその外交顧問の前に坐(すわ)って、日米の軍備の格差を、自らが調べたように詳しく説明し、勝ち目のないことを縷々(るる)説明した。

その話には、外交顧問も感心していたが、最後に、明治維新に日本が止む無く開国した際に、米国のとった政策のお陰で、日本はヨーロッパの国々の植民地にならなかったことを神様は喜び、その恩のためにも、戦争を挑(いど)んではならぬと考えるから、天皇の外交顧問らしく、陛下に「開戦の非」を納得させるようにと熱心に説いた。そして、それをしない場合には「お前を狂人(きょうじん)にする」と神さんが言っていると伝えた。

その後、その外交顧問は敗戦後間もなく狂死(きょうし)した。


親様は、開戦中も常に戦争に反対し、早く和を求めるべきだと機会があるたびに説いた。厳しかった戦時中、警察や憲兵(けんぺい)によく逮捕されなかったものだ。

日本の都会が、次々に敵機の空襲にあって焼かれる度に、日本人の邪悪(じゃあく)な心を焼くのも、もう沢山やからと言って、神前に祈って夜をあかしていた。

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