芹沢真一は、自身の著書「心のはらい 第一巻 神さまのこと」で親様との初対面について、この様に語っている。
芹沢真一
私が、兵庫県三木市高木の井出クニの家を訪ねたのは、大正七年十二月二十一日かと思う。
当時一高に在学中の弟光治良(芹沢光治良)が、その夏休みに肋膜(ろくまく)と胃が弱いのを助けてもらい帰郷して、沼津の別邸に住んでいた私の東京にいる知人や中学校の校長にその話をしたことから、沼津地方の多数のインテリや金持ちや恩給(おんきゅう)生活者達が井出クニに会いに行って、みんな神さまに会ったと神さんの有り難さや偉大さを噂(うわさ)するようになったのである。
私は当時、帝大法科の最上級であり、卒業後は社会人として活躍する場も予約されて居(お)り、自信と血気旺盛(けっきおうせい)な時期である。健康にも恵まれ、神さんを必要とするようなことは何一つなかった。ただ貧乏な苦学生であるから、皆の神さん参りが羨ましくもあり忌々(いまいま)しくもあった。そして夏休み中に、英文の翻訳をして金を作って、四国と九州の友人宅で暮れから正月を過ごす手配をして出掛けたのである。
女の神さんに対する好奇心と、本当の神さんなら早いところ会って置いた方が良いことがあるかも知れないといった功利心(こうりしん)の二つが私の心であった。
もし会えたなら、思想問題、政治問題、世界情勢など、神さんの意見を聞きたいとは考えていたが、およそ神さんとは縁のない強がりのだけの若者。それが私の場合であった。
現在、井出家旧宅として残っている小さいが小ざっぱりした田舎屋の土間(どま)に立ったのは、午後四時頃かと思う。二間続きの六畳間の奥の間にある祭壇前の火鉢を囲んで、ニ~三人の男と入口の六畳間に先客の男と女が一人づつ座っていたようである。
土間に突立って名乗りをあげても、神さんらしい女はなかなか現れない。
しばらくして、やっと現れたかと思うと、畳の上に突立ったまま、「あんた、芹沢さんの兄さんか?弟はんはなぁ、神さんの心で来たからええが、兄さんのあんたは、人間の心で来たからあかん」と言い放ち、そのままきびすを返して次の間に入り、障子の外へ消えてしまった。
私は、言うべき言葉もなく見送っていたが別にがっかりもしなかった。
次の瞬間、国鉄三木駅発加古川行き列車の時刻を火鉢のそばの人達に尋ねていた。先ずは神戸に出て、高松行の汽船に乗ることを考えた。まだ三~四十分あることを確かめると、気を落ち着けてそこらを見廻して四角張った辞去(じきょ)の挨拶を座敷の人達にしていると、不意にまた神さんが現れて、「まぁ、上がんなはれ」といった。帰る決心をひるがえそうとは思わなかったが、よんどころなく靴を脱いで上がり口の座敷のそばに座った。
すると、先客の一人である百姓風の男が火鉢のそばに座った神さんの方に、待ちかねたように膝をすすめ、お伺いしたいことがあって上がりました、と切り出した。
神さんは、その男が次の言葉を出すのを抑えるように、「あんた、商売を始めたいというんやろ。商売はあかんぜ。あんたの妻も子どもも、みな反対しておるわな。あんた、百姓(ひゃくしょう)をしているなあ。住まいはここから遠いところではないなぁ」
男は、いちいち頷(うなず)くばかりで、みな神さんが指摘するとおりなのだ。「今までどおり、百姓だけで辛抱(しんぼう)しなはれ。時が経つにつれて良くなるぜ」
男は、黙って頭(こうべ)を垂(た)れた。すると神さんは、右手の親指と人差し指で指の輪を作って「これを開けてみんか」という。
その男は、怪訝(けげん)な顔つきをしたが、気を取り直して神さんに近づき、苦もなく指の輪を開けた。その直後、神さんはもう一度指の輪を作って、その男に突きつけた後、自らその指の輪を開いて言った。
「これは、あかんぜ」その瞬間、その男は飛びのき、平伏(へいふく)して言った。
「申し訳ありません」実は、その男は時折、近所の家の納屋や蔵などに忍び込み泥棒をしていたという。指の輪は「鍵を開ける象徴」で、神さんは泥棒をしてはいけないことを身振りで示したのである。その後、男は、お供えを神棚の三宝に置き、帰ろうとしたが、神さんは、そのお供えを受け取らず、さらに自分のお金を男に無理やり持たせて言った。「早う帰って、家内や子どもを安心させておやり。一生懸命、百姓を続けるんやで」
私は、その男が土間から慌てて外に出ていくのを見送った。芝居のクライマックスでも観るかのように息を殺して見つめていた。分かったような分からないような妙な気持ちであった。しかし考えるひまもなく、次の幕がはじまった。
神さんが火鉢のそばに座るやいなや、もう一人の先客である若い女が、座敷近くの座から部屋の中ほどまで膝行して神さんの方に向かって、「お尋(たず)ねしたいことがあって参りましたが・・・」と言い掛けると、間髪(かんぱつ)を入れずに神さんは「わしの所へ来たとて、あんたのご利益はないぜ。あんたのご利益はあんたの旦那(だんな)さんが下さるのや。このわしではないぜ」と。「早う去って、旦那のご利益をいただかんか」。
すると若い女が。旦那が毎晩のように料理屋で芸妓(げいしゃ)を相手に酒を飲んで、夜遅くでなければ帰宅しないと訴えた。神さんは女に同情の様子など少しも示さずに、「旦那が芸妓遊びして家に帰ってこんのは、あんたがあかんのや。あんたも、これから旦那の芸妓になりなはれ。何も難しいことやない。毎晩、お膳に徳利二本に肴(さかな)をそえておけばええんや。あんたも髪形を整え、きれいにお化粧しておきはなれ。そうすればご利益があるぜ。ご利益をたくさんくださるのは、あんたの旦那はんや。旦那だって、やがて外の芸妓よりもうちの芸妓の方がよくなってくるぜ」
女は一言もいわないで、ただ頭を下げてうなだれているようである。すると神さんは、「あんた、旦那に内緒で家を出て来たな」女が頷(うなず)くと、「旦那に内緒で家を空けるのはあかんぜ。そうか、あんたの住まいは明石と違うか?そうか、やっぱりなぁ。あんた生まれたところは、ここからそんなに遠い所ではないなぁ。親たちに旦那との別れ話を相談しに来たんやな。それはあかんぜ」女は、黙って頷(うなず)くばかりである。
そこまで聞くと、その女はお供えを置こうとした。クニは、それを差し止め、「大丈夫や。汽車には間に合うぜ」と言った。その女は内心、帰りの汽車の時間を心配していたのである。「心配せんでもえぇ。今日は汽車の方が待ってくれる。大丈夫間に合う。はよう行きなはれ」その日、汽車は定刻よりも七分遅れで発車した。
私が井出クニに神を感じたのは、指の輪の不思議な力や汽車の出発を遅らせた奇跡のようなことだけではない。
そもそも、好奇心と功利心だけで神参りをするというのは間違いである。助けてもらいたいとか一目会ってみたいとか殊勝(しゅしょう)の心があって出掛けるのが普通である。それなのに私は、神を崇(あが)めるような気持ちを微塵(みじん)も持たずに出かけたのである。だから「人間の心」で来たから「あかん」と決めつけられたのである。「人間の心」という意味がその時すぐに飲み込めたわけではないが、弟を「神さんの心」といったことと比較して、私の心は人間的欲望で汚れ切っていたのであろう。
しかし、私は神さまからやっつけられたことで気が晴れ晴れした。
神さまの最初の一言で、私は「泊めてもらおう」というような功利心を捨てて、神さまにはもう会わないで結構と決めつけてしまったのである。そして、むろん自分の目と心で、神さまを研究してみようといった考えも捨ててしまった。だから、まぁ上がれと言われてからの私は、二人の男女と神さまが繰り広げた芝居を、神さまからやっつけられたお陰で、行き当たりばったりの偶然を見物人の立場で眺めることができたのである。