母がいました時分(じぶん)には、天理教へよく参りました。
兵神(天理教兵神大教會)の部下で「三木神教會」というのがありました。そこの信徒(しんと)で、母に連れられまして常々お参りをしました。
ちょうど今から五十年ほど昔のことであります。その時、私は十五歳でございました。
若い時分に聞きましたことや見たことは中々(なかなか)忘れんもんであります。教会へ参りまして、天理のもとの教えをまことの結構のお話や理(り)を度々聞かせてもらいましたことを今に思い出します。
私、三十三歳の時に母が亡くなりました。今から三十一年前で、その間には自分の身柄(みがら)が悪くなりましたので、教會へ参ることもお話を聞くこともいたしませんでしたが、まだ信徒になったままなのかと思っています。
そして、井出家の方も同じように、こちらの母が天理教を信心(しんじん)しておられましたのでございます。まったく因縁(いんねん)のあるところへ参りましたように思います。
それから後、このように身体が震(ふる)いまして仕方(しかた)がありません。どういう訳か一向(いっこう)にわからん分からんなりに日を送ります。
気違いのように神様に連れられまして、いろいろの難儀(なんぎ)苦労がありますが、とてもとても書き尽(つ)くすことは出来ません。教祖様さえ「このご苦労は」と言われたほどであります。
全く自分が前生(ぜんしょう)につくった罰(ばち)が当たったのや。私で出来ることなら人さまに喜んでいただくことや、お助けやお話をさせていただきました。
別に業(ぎょう)をしました訳でもありません。ただ何となく尋(たず)ねられるとふいふいと口から出まかせに言うのに、みな人さまが「結構や、ありがたい、病気が治った」とか申して、あちらこちらからみえるのであります。ただ、妙(みょう)や妙やと思うばかし、自分に自分のことが分りません。
家は人手が少ないですから、沢山の人がみえることはまことに困(こま)ります。来てもらわぬよう力一杯(ちからいっぱい)きつい事を申しますのに、「その理が結構や。それがありがたい」と言うて大勢(おおぜい)が来られます。
実に何としたことでございましょう。しかし、日々(ひび)ただ、もったいない勿体ないと喜ばしていただいております。
(続く)