天理教では、十柱の神より神様はない様に説いているけれでも。神様の数は、何百万あるか分らぬ。その沢山の神様たちが、今日様(こんにちさま)<太陽>から出る、八千八筋の息を、お授けになっているか人間が生きていられるのですぜ。
もしもその神様たちが、ちょっとお緩(ゆる)めになった時、そのお息に当たったものが日射病になる。それだけ沢山の神様があって、この世界を御守護下されているのだから、それを一々(いちいち)説くと高慢(こうまん)になる。
且つそれでは、助けの実(まこと)が遅れる。だから、可成(かな)り、早く人を助ける様にしなければならん。それには、十柱の神を説いていては後れる。十柱というのは、火柱を守るには十人の人柱が要(い)る。その十人の人柱が十柱である。と仰せになりました。
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今までは、神の道と、上の道とを別々にしていたけれども、どこも、人間を助ける道である。その証拠に、どれ程悪いことをしても帰りしなには小遣いをやって、これで治まりなされよと言うてお帰しになる。それと同じく神の道でも、天の月日にどれだけ不都合を致(いた)しましても、真心にさえなれば、助けて下さるという、道に二つはない。
その結構を知らぬから、心を尽くして、誠の道と言うことを、少しも知らぬから困る。
世界中一般に、明治天皇は天の月日の入り込みであるということを知らして、誠の心になって下されというのが、わし(親様)の使命である、と仰せになりましした。
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一体(いったい)明治という字は、どういう字ですか?
明治の明という字は、月日<字は右から読むから、明と並べて書いても月日と読む>という字ではありませんか。また、治めるということを付けたのは、月日がこの世を治めるということなのです。即ち、明治天皇には、月日がお入り込みになってこの世を治めた方です。
それだけの悟(さと)りがなければ、天理誠の道でははい。
月日と書いて明らかと読む、それだけは分っていても、明治の世になって、月日が治めるということを一人も知っている者はない。それが、分らんくらいだから、宗教がなぜ、明治の世に起こったかということも分らん。と仰せになりました。