信者様の記録から、親様の教えを読み解きます。
一読者からの手紙
今年も春季例大祭が目前に迫りました。皆さん、帰播準備に追はれていることと拝察(はいさつ)いたします。
親様は「地場をふむだけでも御徳を授ける」と約束されています。どうぞ皆さんも、沢山の御徳を背負はれてご帰宅下さい。
親様は「大祭は、大勢が帰播するので十分に話すことができない。本当に話を聞きたいものは大祭以外の日に来るがよい」とも言われています。たまたま二月に帰播された読者のお一人からお手紙を頂戴し、大祭以外の播州がどんなに良かったか、親様のお言葉を裏書きするようでしたので記載させていただきます。
岡 勝江さんからのお手紙
先日は「誠心」をお送りいただきまして有難うございました。早速拝見させていただきました。何時も心打たれるお話許(ばか)り。其のうちの一つでも守れたら、行えたらと思うことばかりで恥ずかしいことでございます。是非今後ともお続けくださいますようお願いいたします。
百号になりましたら御本にまとめて下さいます由、私に四冊予約させてください。子ども四人に私の「かたみ」として一冊づつ贈りたいのです。お願い致します。
節分に初めて帰播させていただきました。先生にお逢い出来なかったことは残念でございました。いつも、四月と九月の大祭のみ帰らせていただいて、ワサワサとお参りして居ました私には、今の度の播州の皆様の心からのおもてなしに本当に心を打たれました。日常の心掛けも、こうあるべきだとつくづく感じたのでございます。
だいぶん前、山下先生(三島)のお宅にお伺いした折、お店に次のようなお言葉が書いてございました。親様のお言葉と思い書き取ってまいりましたが、一度読んだ丈(だけ)では一寸意味が受け取れませんでしたが、何度も繰り返して居ますうちにやっとわかりました。そして此の度、節分に帰らせていただいて一層その意味が深く感じさせられました。
なにがなくても まごころこめて もてなす りょうりのあじはべつ
むりはきくまえ いうまえ しょまえ むりはとおらぬ むかしから
(「誠心」昭和四十六年三月十五日発行)