八つの埃

それから、明治天皇この方は、この世に、どれだけ、ご苦労をなさって下さったかも分からん。

御自身は、九十歳も百歳もある寿命を縮めて、人民を大事になさって下さったにもかかわらず、自分らが、ひとりでに偉くなった様に思うている。それから、明治天皇の御苦労を、神様はどれだけ大切なものであるかということを、一つ誠をもって、充分に世界の人民に教えなければならない。と仰せになりました。

昔は、人間が沢山(たくさん)いては、食わずになると言うて、誰からも見捨てられ、姨捨山(おばすてやま)に捨てたりした。明治天皇になりては、人間という大切な人を、そんなことはしてはならんと心づき、それを止めさせ、また、外国と取引して、お互いの便利を計り、外国までも誠の心のなってもらい、厭(いと)わしいことをしない様にしたいものやよ、明治四十四年の間(かん)というもの、どれ程、御難難をなさったか分からん。

その御恩を知った者は一人もない。どれもこれも、みんな自分ばかり勝手に暮らすことを考えているばかり。神と言うて、この世に現れたならば、明治天皇が、人民を大切にして下さったことも考えなければならない。「わし」が何んぼ、二代教祖というても、明治天皇のことを世界に知らせなければ、勿体なくて、二代教祖という訳にはいかん。と仰せになりました。

親様のお言葉に、天から順々に、神様が、天降(くだ)りなった。その中で、伊邪那岐、伊邪那美命、このお二人の神様が、一番早く天降りになったのであります。それが、人間の先祖ではあるが、すべての親という訳ではない。

天には、八百万(やおよろず)の神があって、人間から、草木を守って下されている。御空(みそら)の星の数は、神様の数である。中でも、一番霊徳(れいとく)のあらたかなものが、月日両神である。これが、人間の実(こまと)の親であるから、これだけ拝めば良い。

神様のお名前と御守護とを、いちいち説きだすと、高慢が出る。そればかりではない。十柱の神様のお名前と御守護とを覚えることは、信者にとっては、容易(ようい)ではない。

それでは、助けが後(おく)れる。これからは、なるべく早く助ける様にしなければならん。十柱の神もこれまで、永らく説いてきたのであるから、消そうと思うても消されん。

それだけ、消すには及ばんが説くには及ばん。ただ、月日両神を拝めば良い。

朝起きたら、お日様に向かって「人民大切に願います」と、それを一言いえば良い。

(ある人に、向かっては、真の火柱を守るにはどうしても十人の人柱が要る。それが即ち、十柱あると語られたそうである)

本当は、手を合わせて拝まんでもよい。人間の身の内には、みな、神がお宿りになっているのだから。と申され、また、親様は、人民大切は、我が生命(いのち)である。と仰せになりました。

親様は、旅館にお泊りになると、腹が張って張って、仕方ないそうであるが、これは、皆万人の悩みを一身に負われる、大慈悲心の致すところであります。

それについて、親様は、こう語られた。

「わし」は、神様に、罰(ばつ)を当てられたのだと。「世間の人は、神の社になることは、さぞ結構なことと思うかも知れんが、神の社になるくらい辛いことはない。わしには、皆世界中の人間の埃が集まって来るので、朝起きる時は、だるうて、だるうてならん」と、仰せになりました。

人は、救世主の光栄のみを見て、その身心の悩みの如何に大いなるかを想到(そうとう)しない。この親様に依って、初めて、万人の埃を負うて、悶(もだ)え苦しむ救世主の悩みを見た。

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