見分け聞き分け、心の噛み分け

親様は、眼をつむりながら、莞爾(かんじ)としてお話になりました。

「見分け聞き分け、心の噛(か)み分け」という。

この三つは、皆さん御存じでございましょう。人様が善いことをなさった時には、自分の姿と照らし合わせ「私にはあのようなことはないか」と、見分け、聞き分け、心の噛み分けが肝心です。如何(いか)なることがあっても、決して人を恨(うら)むのでは御座いません。我が身を恨むのですぜ。お互い助け合いというのが人の道。如何なることも忘れよう。と。仰せになりました。


昭和二十一年一月六日、初のお勤めの日、数多(あまた)の信者たちの前にお立ちになり、宣言するように言われた。

わしが、神として、この世に現れたのは、人より外(ほか)に神はない。人が神や。

それを教えるために、神はこの世に現れたのや。これを教えたからには、神は二度と人の上には現れない。人に現れるのは、これでおしまいや。

どうぞ皆さん、「お互いに神になって通ってくだされ頼みます」というお言葉と共に人に現れて四十年、人には何もしなかった様には見えるやろうが、これで一万年に渡って人間の世界が平和に暮らせるだけのはからいはしたぜ。という親様のお言葉に従って、神がなんで日本の女の上に現れて、何をしたのかの話をある程度したつもりである。どうぞわかって下され、頼みます。と、仰せになりました。


親様は、「働きなさい。働きなさい。人間であって、働かない者は我が教え子ではない」と仰せになり、また、「人間の徳が進んでいったならば、病まず死なず、弱りなきようしてやる」と仰せになりました。


人間には、我が身以外、自分の物というものは無いというのが教えである。生まれながら、立って歩こうとするのが人間や。そして、口を利(き)かして言葉を話すことが出来るのも人間や。この二つのことで、人間だけが外の動物とは違って、勿体(もったい)ないとも尊いとも言うにいわれん宝を身につけているのや。と仰せになりました。

昭和十二年(1937年)四月、立教三十年祭、東京の信者様のご様子。