祭ってあるのが神ではない。真心(まごころ)を尽くして下さった真心が神や。信心(しんじん)とは、拝(おが)んだり、参(まい)ったり、祭ったりするのが信心ではない。
色々の願いをかけるのではない。自分も真心を授けてもらいたいと祈るのであって、神というものは、天地の空気が神で、神よりの借り物というには空気や。空気を吸うて生きているのや。
その空気が風で、風は自分の息や。息が風であって、風で言葉が出る。それで言葉が神や。神は人に添(そ)うのや。信心とは、人のことを信じ、自分のことを信じてもらい、信じ合いするのが信心や。
自分と同じ者は、世界中どこを探しても一人もないから、自分から先方に合わせていけばよい。
人に合わすとは、人の心に逆らわないようにして、人様の好くように合わすのや。と、仰せになりました。