朝日神社の祭神は、水火風、天照大神(あまてらすおおみかみ)、明治天皇 の三柱であることは既に御承知の通りです。
何故、この三柱を祭神にしたかについて、親様からお聞きしたことをとりつがしていただきます。
人は、ぬくみ水気の御守護によって生まれてきました。ぬくみは即ちつく息、火に例え、水気(すいき)はひく息、水としています。つく息、ひく息は空気、即ち風が通(かよ)って初めて生命が得られるのだと申されています。従って、生命の本体である水火風を第一の祭神としているわけです。
第二に、天照大神は字を分解すればわかる通り、二人が照らすという月日の理。
第三に、明治天皇は、月日が治めるとい理。
この理をもって三柱を主神とし、世界を祈り。我が国を祈り、一家を祈るのだというお話でした。
四拍手三礼の礼拝(れいはい)は、十二拝、即ち一年十二ケ月を形取ったものだと申されています。
朝に、御守護を願い、夕べに感謝の祈りを捧(ささ)げるのは一日生涯の理。親様は、昨日(きのう)は前生、今日はこの世、明日(あす)は先の世と思い、一日一日を生涯だと思うのやと申されています。また身上(みじょう)は、神からの借り物でありますが、心は親神寄りの分霊(ぶんれい)であります。借り物の身体は、いつか返さねばなりません。分霊もその儘(まま)にしておけば知らず知らずの中(うち)に埃(ほこり)が溜っていきますので、毎日神に祈り掃除をしていかねければなりません。
親様は、人が神やと教えています。人が神だと云うことは、自分も神だと云うことになります。人様を神と立てていけば、人様も自分を神と立てて下さるからだと申されました。これが本当の生神様(いきがみさま)であるとも申され、人を助けて吾(わ)が身が助かるともお教えくださいました。
神前で行う手舞は、神を慰(なぐさ)めるためにする舞いなので、一般には神に向かって踊るのが普通ですが、本神社(朝日神社)のは「人が神だ」という理念に基づき、御神体に背にし人に見ていただくようにして舞うのやと申されました。そして手舞は、耳の聞こえぬ人に見ていただき、目の見えぬ方には歌で悟らしていただくのや。と、仰せになりました。
鳴りものを賑(にぎあ)わしくいたしますのは、神をお諫(いさ)め申し上げるのやとのお話。太鼓、釣鐘(つりがね)、拍子木(ひょうしぎ)、チャンポン、笛、地歌という道具を使うのは、いろいろのものが寄り合って仕事ができ、拍子木、チャンポンのように二つのものを合わす、総(すべ)てのものを合わすという理のように伺っています。
(「誠心」昭和四十四年七月十五日発行/神戸市 田方福蔵 様)