芹沢光治良 せりざわ こうじろう
1896~1993年
明治29年(1896)5月4日、静岡県駿東郡楊原村(現在の沼津市)我入道に生まれる。
楊原小学校から沼津中学校(現在の沼津東高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学経済学部に入学。
在学中に高等文官試験に合格し、卒業後、農商務省に入省したが、官を辞(じ)してフランスに留学。滞在中に結核に冒(おか)され、スイスで療養生活を送り、帰国後に書いた「ブルジョア」が雑誌『改造』の懸賞小説に当選して作家活動に入る。
『巴里に死す』、『サムライの末裔』でフランス友好国際大賞、代表作である大河小説『人間の運命』で芸術院賞を受賞。また、多年にわたるユネスコ運動の功績で勳三等瑞宝章を、さらに日仏文化交流の功労者としてフランス政府からコマンドール章を受ける。
日本ペンクラブ会長、文芸家協会理事、ノーベル賞推薦委員、日本芸術院会員などを歴任。
昭和55年(1980)に、沼津市名誉市民となる。
89歳より、『神の微笑』からはじまる神シリーズ8冊を執筆。
平成5年(1993)3月23日、東京都東中野の自宅において逝去。享年96歳。
天理教を家の宗教として素朴に信じていた幼少年期、信仰に疑いを持つようになった青年期を経て、芹沢にとって「神」の問題は、決着を見ない重要な問題であった。
神を否定するのではなく、その判断を保留して、フランス留学中にデュルケム学派に学んだ実証主義の精神を原理にして、正しく思考することに努めてきた。そこに近代的な合理主義を身に着けながら、同時に勝れて宗教的人間である芹沢の精神の独自さがある。
天理教二代目教祖ともされる井出クニ(親様)と、私的な交際を保ち続けていたのは、そのために他ならない。だから、人間の陥(おちい)っている不幸極まりない現実に対し、神があるのなら、神は沈黙するものとよくよく知りながら、その意味を聞きたかったのである。
(引用:芹沢光治良戦中戦後日記(勉誠出版株式会社)/解説~勝呂奏)