神が喜ぶと思っては、誤りである

神様がいくら偉かろうと、自分の力を出そうと出すまいとは、各々の心の真実。

陛下さえ、これだけのご苦労をなさるにと言うところに心を寄せて下されたら、結構なものである。

月日はこれは、実の親様または世界に於いては、天皇陛下より神はなし、あの人を真の神様として日々拝まなければならない。

一番が天皇陛下、二番が世界、三番が自分の心。

女には、五心の徳といって、五つの徳がある。

第一は、親を大切にすること。第二は、夫に貞女、第三は子を求め、第四は、家の世帯を大切にし、第五は、世界に鑑(かがみ)に載せられる。これが五心の徳と言うて、女にとって、一番大事な得である。男は、功を尽くしに来るものであるから、功を尽くせば良い。と仰せになりました。


荘厳(そうごん)なる儀式、華美(かび)なる装飾、それに依って神が喜ぶと思っては、誤りである。

この神が喜ぶところのものは、唯一の心の錦。錦の心より、生まれた真の勤めが望みである。「わしは、飾りは一つも要らん。印半天でも、前掛けでも構わんぜ、心の誠を、神が望むんや」と。仰せになりました。

天理教祖が予言した通り、現れたのが、この「わし」やと誰にも、言っていた。

神様は、釈迦は三千年で、また現れるといったが、二千年を越えたら、それからが三千年や。二千年で現れたのが、このわしや。だから、わしが釈迦の生まれ代わりということや。と仰せになりました。


親様は、日の寄進はいけない。今の日の寄進は、神にするのではない。人間にするのだから、神の受け取りがない。こうして、わしみたいに、じっとして、自分のしたい事もせず、神様の御用をしているのが、日の寄進だ。日本国中探しても、わしより大きな日の寄進している者は、ありませんぜ。と仰せになりました。


親様は、人が気強いことをおっしゃったら自分が鈍(にぶ)いからと思い、人の鈍(にぶ)いのを見れば、自分が気強いからと思い、内々の神さんを大切に、毎日拝み合いをして、お互いに仲睦まじく暮らすのが一番、神の理に叶(かな)う、今日壮健で、食べてさえいければ、結構と喜んで暮らせば、神様より「堪能(たんのう)」の理が授かる。と仰せになりました。