昭和十九年十月十七日、午後三時ごろ、芹沢真一は白鳥敏夫(しらとりとしお、陸軍大佐、駐伊大使戦犯中病死)と二人で、神戸電鉄三木駅に降り立った。
その日は大雨で、とても二十分はかかるところを歩いてはいけない。傘なしだから途方にくれていた。
ふと見てみると、一台の乗用車が雨に濡れて駅の正面玄関に横たわって、運転手は車体の泥(どろ)をせっせと拭いている。芹沢は運転手に声を掛け、神様宅の方向を指して乗せて欲しいと頼んだ。
運転手は「ここまで人を乗せてきたが、帰り道がわからないで困っていた」という。
芹沢は、自分の降りるところで村人を招いて教えてあげようというと、二人を乗せて走り出した。
神様宅の裏門前の広場で、車をとめて、(帰り道を教えてあげる)人を呼ぶからといって、二人が車から降りると、「ここに来て、帰り道がわかった」と言って、金を差し出したが、ドアを閉めて走り去ってしまった。
そして、気が付くと、雨の中二人とも濡れないで立っていた。
神様宅の人大勢が、傘を差して、二人が濡れないように囲んでいる。二人が到着する頃だといって、親様が迎えによこしたというのである。
二人が神殿の玄関につくと、親様も待っていた。そして小さな声で「さっきの車は、金を取らなんだろう」とつぶやいた。
この車は、三木市に一台の自動車もないと聞いて、親様が「しかたがないわ。わしが何とかしよう」といって、とりはからったものである。
後にその日、親様が白鳥に対し、二十四時間ぶっ通しで話し続けたと伝えられている。
白鳥曰く、「常識的で、何でも話しが出来ることには驚いた。神様というから、もっと違った面を予想していたが、常識そのものには、全く驚きだ」と感嘆の声を残している。
芹沢曰く、
神様はいつでも、いうことすること常識的で、平凡な人間の如(ごと)く、非凡の人間の如く、格別変わったとか、特異な様子はなかった。
違うのは、その常識的な態度や話を、疲れたり休んだりしないで続けられるということである。そして、何でも知っているから、平凡の如く非凡の如く、常識的に振舞えたのである。
思うに神様は、人間の心と同じ心だといっても、無限の粒子を包容する磁力の場を支配しつつ、人間としては神三分のはたらきをしていたのであるから、神様の能力とはたらきを人間は想像することも出来ないのである。