妻が難病から助けられた。二十年近く接した親様(クニ)の働きは、天理教の教祖中山みきを偲(しの)ばせることばかりだ(芹沢光治良)
助けを求めた病人で、助からない者はいなかった。
それも、面倒な因縁(いんねん)を説くでもなく、献金をさせるでもなく、ただ「奥さんを神さんだと思って、優しく拝(おが)んでいなはれ」とか、「亭主に向かって愚痴(ぐち)はあかん、独り外へ出て空に向かって言いなはれ。神さんがちゃんと聞いてくださる」とか、優しく話して、お授(さず)けをして、それでみんなが助かった。もっとも、助けを求める病人の病気は、親様が引き受けて、自らが苦しんでいた・・・。
近所の、蒲鉾(かまぼこ)が売れなくて困っていると相談にきた蒲鉾屋の製造主には、原料の魚の名前を挙げて「近頃、安い魚ばっかりを、ぎょうさん使い過ぎて味が落ちたからや」と忠告したり、下駄(げた)が売れなくて困っていると訴えてきた下駄屋には、「下駄で儲けすぎたなぁ。履物(はきもの)の好みがだんだん変わるで、安い靴(くつ)のようなもんを探して売ったらどうや?」と忠告した。こんな感じで、どんな職業で相談に来ても、その者に満足なこたえを与えていた。
病人を助けようが、日常での困りごとを助けようが、信者にするわけでもなく、すべては助けっぱなしだった。
出征(しゅっせい)する兵隊で、無事に凱旋(がいせん)したいと願いに来た者には、「征(ゆ)く先々の住民を同胞(どうほう)と思って大事に扱うこと。鉄砲を敵に向けても、狙いを外して殺さないよう、このふたつを守れば、神が守る」と説いた。
第二次世界大戦の直前、日本が対米戦争をするか否(いな)か決する直前に、天皇陛下の外交顧問が親様に接見してきた。
親様は「アメリカと戦争をしてはならぬ。国民を窮乏(きゅうぼう)させるばかりで、必ず負ける。陛下がお若いからとて側近者は侮(あなど)り、高慢な軍部の愚行(ぐこう)を抑え込むことができない。何より陛下がお気の毒だし、国民が可哀相」だと涙を流しながら話したという。
これは、田舎の老婆の戯言(たわごと)ではなく、神の言葉だとて、その証拠に神の力を見せようと立ち上がり、座敷の柱に右掌(みぎのてのひら)をあてた。とたんに、建坪七十坪の二階家が大きな音とともに揺れ出して、廊下の家人達が大騒ぎで「地震です。早く逃げるように」と叫んだ。
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