終戦の年、昭和二十年(一九四五)三月、四月、五月にかけての空襲で、東京はあらかた焼け野原になった。
親様にお詣りをしていた東京の信者たちの家もほとんど焼けてしまった。焼け出されたこれらの信者が、終戦直後の九月六日、三木市の親様宅のお祭りに集まった。
東京の信者たちは、前年である昭和十九年(一九四四)の春秋二回の親様上京の際、どんなことを聞いたか、耳の底に焼き付いているほどよく覚えていた。だから、お祭りが終わった後で、焼け出された東京の信者たちは期せずして親様を取り囲んで座り込んだ。神殿の百畳間が半分以上ふさがるほどの人が物々しい顔つきして親様に向き合った。
みんなの財産は、焼けないように神様が保証するから、疎開(そかい)などせず、天皇陛下のいる東京に踏み留まるよう親様が「頼む」と言ったから、その言葉に従って、東京に踏み留まって、田舎にも疎開せずにいた。それがために、空襲にあって家屋敷や財産はみんな焼け、着のみ着のままで焼け野原に放り出され、生きるのがやっとということになってしまった。これはどういうことでしょうか?みんなの不平不満の訴追の言葉を総合するとこうなるが、親様が何と返答するかによっては、ひと騒動起きかねない空気があった。
みんなの訴えが一段落したところで親様は、「みんなは、焼けなかったからここに来たんやろ?この神さんの言うことを信じた者で、誰か焼け死んだ者がいるか?そんなはづはないやろ。そうやろ。東京の信者で、一人でも焼け死んだ者はおらんやろ」
「わしが、保証した財産というのは、みんなの身体のことや。そのことは、前にたびたび説いて聞かしてある」と仰せになった。
「家や品物や財産や金も、みんな神であるこのわしもんや。お前たちのもんではない。あんたたちの財産である身体を保証した通り、焼け死なんように神さんはえらい苦労をしたぜ。物や金は、みんなの心次第で、また神様があんばいようするから。せやから今まで通り、焼け野原を離れないで、東京で頑張って、終戦前の商売を続ける工夫を励んで下され。頼みます」と仰せになりました。
親様のこの言葉で、焼け野原になった不平が治まった訳ではないが、親様の言葉は信者として、全くその通りと受け取るほかなかったので、みんな親様に頭を下げ、かしわ手を打って、拝んでから立ち上がって囲みをといた。
すると、親様も立ち上がって真っすぐ私の方に近づいて、「芹沢(真一)さん、あんたも焼け出されたか?」
私が「みんな丸焼けになった」と告げると、親様は「そうか、空っぽになって、よかったなぁ」と仰せになった。
私は、瞬間はっとして、なるほど、空っぽになったことは、過去の罪障消滅でありがたいことかと思った。そして、この言葉は、私だけではなく座っていた、焼け出された信者みんなに言ったことかとさとった。
例を挙げたらきりがないが、要するに、人間というものは「心だけのもの」であり、身体は人間の唯一の財産というのが神様の教えの建て前であった。つまり、人間には、我が身体以外、自分の物というものは無いというのが教えである。
神様は、人が神と教える建て前から、人間の身体を神様からの借り物というようには一度も説いていなかった。人間の身体が、どんなに立派なものであるかは、神様が説かんでも人間は理解しているはずとも言ったが、生まれながらに、立って歩こうとするのが人間や。そして、口を利かして言葉を話すことができるんも人間や。
この二つ(心と身体)のことで、人間だけが、外の動物とは違って、もったいないとも、尊いとも、いうにいわれん宝を身につけているんや。
(引用:心のはらい 第一巻 神さまのこと/芹沢真一)