もと私の神様の成り立ち

どうぞ、皆さん聞いてくだされ。

私は、神様と言われるような者とは違います。もと、私がこういうことになりましたのは、実は私、自分の行いが悪いために罰(ばつ)が当たったと思うておりました。なぜ、罰やと申しますれば、元この神様の成りました時には一度にからだが、ただ、ガタガタと震うてばかりおりますし、座敷に居りますれば、からだが一尺ばかりトントンと上がるように思い、何となくただ、怖い怖いことやと思うて日々暮らしておりました。なれども自分が、常に神様と言うて信仰したことは決してないのであります。

それゆえ、神様というようなことはただ、ちょっとも思わず罰が当たった罰が当たったと思うて、日々暮らしました。そして、三十日ほどからだがそういう具合になりつめて、誰が言うともなしに、「ひろい世界を眺めても人間助ける人がいない」~誰が言うともなしに聞こえる。

ただ、助けることが分らんゆえにこれは、どういう具合や、気違いや分からん。一日はメクラ。また一日はオシ~オシは一週間も続いてものも言えん。メクラは一週間も続いて何も見えん。時にはメクラとオシとの日も続く。メクラの日は何もすることが出来んゆえにじっと座っている。オシの日は前のメクラの日の倍ずつ働けます。それゆえメクラが不自由、オシが不自由とも思わず、半期ほど暮らしました。

そうすると誰が言うともなしに、「助けて下され、助けて下され」と、そういう言葉が出て致し方がありません。そうして助けるともなく暮らします。ついには、手が引っ付いて離れぬ。メクラ、オシは困りませんが、手が引っ付いたのは困ります。便所に行くのも何も皆人の手を借ります。こんな具合なら何なりと人様の役に立つよう助けさせて頂こうと、ついには志(こころざ)しました。すると、一日に人が五十人も百人も、ただ、助けてくれ、ありがたい、ありがたいと言うて来るようになりました。

そうしますと、早く助け場所を建てんならん。早く人間を助けるところを建てんとならんと、神様がおっしゃるように思います。ついには、金をお借り申して満一年程しましてから家を作りました。

家を作って、ようやくその家へ入りまして丁度三十日致しました。そうすると、三木の警察から、ちょっと来いと言われまして行きました。ならば、催眠術を使うと申されまして、その催眠術の先生を言えといわれまして、その先生がいないがために初めて十日の抑留(よくりゅう)を受けました。これが明治四十二年の時かと私は心得ます。


私は、神様が見えましてから十八年というものは、からだの振動の無い日は一日もありません。自分は、実は辛(つら)い思いをしておりますゆえ、少しも神様やと思うことが出来ません。天啓というものか、または、天より神様が力を授けて下さったのか、もしくは、そういうことは、罰が当たったのではないか。気違いか阿呆(あほう)か何やらわかりません。ただ、さすってあげますと、助かるとか治るとのことでございますから、お助けさせて頂いております。

皆さま、人のお助けをなさりたい方がありますなら、私を助けると思うてお越しになりましたら、その力をお譲(ゆづ)り致しましょう。

私の教えのお話は、第一には、国を大切。第二には、我が内を大切。第三には、我が身を大切。そして神と仏を忘れんようにしてゆき、義理と人情と誠を忘れんようにするべし。そして、堪忍と辛抱と世に中の人を神様にしてその人の言うことを信じ、また、自分の言うことを信じてもらい、互いに神様になりて拝(おが)み合いをして通れば、自分の心に神がまします。

病(やまい)というものが金や薬で治るのと違います。自分の誠で病(やまい)はなくなります。金や薬で治るなら金持ちは死にはしません。どんな人でも一度は死にます。だから、一日でも心優しく持ちて人も喜ばし、家内も睦(むつ)まじく暮らして、我が国の名誉を世界に見てもろうてゆくのが我が国のためかと思います。


親様のいう阿呆(あほう)とは、「賢(かしこ)くて、物知りであっても、阿呆のようになって通す人」である。