大平良平

大平良平 おおひら りょうへい(大正五年一月 大平隆平に改名)

社会思想家・天理教研究家

1886~1916年

明治19年(1886)4月8日生まれ 早稲田大学(明治42年卒)大正2年、図書館で偶然出会った天理教の文献が機縁(きえん)となり、天理教研究を開始する。30歳の若さで他界。


天理教教祖中山みきの死後、明治末から大正初年にかけての天理教の文献をみると、時として天啓者が出現するという願望が高まり、さらには、自らが天啓の取り次ぎを継承するものだと主張する天啓者が現れる時期であったことがわかる。

天理教の周辺から天理教の改革を叫んだ大平良平は、大正四年四月から翌年八月にかけて、天理教関係の個人月刊誌『新宗教』や研究書を刊行して教団批判を展開し、「生命をかけて批判に生きた、天理教最大の価値ある異端」とも評された人物であった。


大平は、「中山みきと本席亡き後、天理教組織は変質した。神はそれを是正させるべく井出クニを出現させた」とし、クニを天理教という宗教の枠を超えた救世主と位置付けて喧伝(けんでん)した。クニがみきの後身(こうしん)として現れることは、ほかならぬみきが在世時に予言していたことであるとも強く主張していた。

天理教本部は『新宗教』の影響を恐れて、大平を徹底的に批判する一方、同書を買い占めるなどの対抗措置をとった。その直後、大平が急死したこともあって、クニについてはもとより、初期の天理教の貴重な情報を記した『新宗教』は研究者でも目にすることができない幻の雑誌となった。


中山みきが予言した救済プログラムを完成させるために出現した啓示者、それがクニであった可能性も一時あった。ちなみに天理教三十年祭では、みきの予言の影響か、クニとは別に何人かがみきの後継者として名乗りをあげている。

仏教には釈迦(しゃか)が未来の世界の人々を救うために再臨(さいりん)するという弥勒信仰(みろくしんこう)がある。『弥勒下生経』によれば、釈迦の入滅(にゅうめつ)後、五十六億年七千万年後に弥勒が出現するとされているが、井出クニは巳こそ弥勒であるという自覚もあったといわれている。

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