この福井屋という宿屋は、教祖を中山みき子という方のひ孫のうちでありました。その福井勘次郎という人が私の世話をしたり、私の家へ来りしました。
福井勘次郎
ゆえに、本部へ青年として十五年も入り込んでいる(天理教で信仰を続けている)人を、本部を放り出してしもて、食べることも何もでけんような始末にいたしなしたのでしょう。
そして私のところにやってきて(入信)、あちらこちらの掃除をして、私の家におられますのです。
それに、この度の教祖みき子の四十年祭に福井勘次郎は、本部に憎み、一同の招きもせずやということを私は聞きまして実にお気の毒やと思います。
もし何方(どなた)でも、この私の書いた本をご覧になったそのうちに天理教の信仰をなさる方があるならば、どないかして教祖のことを想い、福井勘次郎を本部の中へ入れてあげてくだされ。私のためにこの人をこんなに苦しめることは、実にお気の毒やと思います。
私は、どういう神様の信仰をいたしますかは知りませんけれども、天理教の邪魔(じゃま)をするようなことは致しません。
天理教に限らず、どの宗教の人でも、みなまことの心になってもろうて、世界一列きょうだいの本当の天理を祈ってもらいたいのが私の一の誠心でございます。
別に人の宗教を悪くいい、自分の宗教を創ろうという誠心はありません。どうぞその福井さんだけを本部へ入れてあげたい。御教祖に申し訳ないが心のある方がありましたならば、どうぞ福井さんを本部へ入れてあげて下さい。本部へ福井さんを入れたとて、私が本部へ行きたいというような未熟(みじゅく)なものと違います。
私のために天理教の親類が、互いに仲悪く暮らさず、仲良くしていただいたなら結構やと存じますのであります。
どうぞ皆さま、先祖(せんぞ)のため互いに子孫を大切にするのであります。よって教祖の子孫をお粗末にするようなことは誠にお気の毒のことやと思います。
私の身の行いのいかんところは、とても本にはつくせません。ゆえ、死んでからなれば分かりませんが、今生きているのやそれ故、私のところへ来て調べればよく分かります。
(続く)