三木飛行場

かって、兵庫県三木市には太平洋戦争末期に旧日本陸軍が建設した「三木飛行場」が存在しました。この飛行場は三木市と稲美町、加古川市にまたがる丘陵地に位置しており、特攻隊員や操縦士らが訓練を受け戦地に向かった場所でした。

飛行場は昭和十九年(1944年9月)に完成。約200ヘクタールの敷地に最長2千メートルの滑走路3本や駐機場、格納庫などを備えていました。(現在は、農地や工場などになっています)

終戦間際の建設で運用期間は1年足らずと短い時間でしたが、休日には三木の民家を訪れ、手厚いもてなしを受けたことが記録に残っています。


左から二人目が吉永やす
当時のままの佇まいが残る
上海事変、日中戦争、第二次世界大戦、原爆投下を予言
白鳥敏夫

三木市に旧陸軍の飛行場

太平洋戦争

特攻隊