初めての神懸かり

その噂を聞いて、明治四十二年二月頃から、一日に五十人から百人ほどが様々な願いや相談事で押し寄せるようになったが、次々と病気を治したり、的確に相談事を解決するなどの救済を施した。そして不思議なことに、夜になるとクニの家では、どこからともなく雅楽(ががく)のような音楽が聞こえるようになったので、やはりクニは生神様(いきがみさま)という評判に輪をかけることになった。

急にクニの家に人々の出入りが頻繁になったため、警察が不審に感じ「良からぬ催眠術を使って人々を騙(だま)しているのではないか」と三木警察署から事情聴取を受け、十日間の拘留(こうりゅう)を受けたこともあった。警察署での拘留が解けたとて助けを求める人々が絶えず、約一年一カ月の間、警察に行ったり戻ったりを繰り返している。拘留中の夜中には、不思議に街中の野良犬が警察署近くに集まりはじめ、夜通し吠え続けたことから警察署長がこれには観念し釈放したと語られている。

警察署に向かうお姿。実に穏やかな表情です。

これでは民家での活動が出来ないということで、同年「たすけ場所」として住居兼神殿を新造する。朝日神社の前身で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、明治天皇、土地の先祖神の三柱を祭神(さいじん)とした。

祭神のうち、明治天皇は今上天皇が、明治天皇の霊告(れいこく)により敢えて祀(まつ)ることになったという。まだ生きている人間を神として祀る生祠信仰(せいししんこう)である。それにしてもなぜ明治天皇なのか?高山を基本的に超克(ちょうこく)しなければ谷底の救いはないとしていた中山みきの考え方と相反するものである。これは明治天皇の「明治」に意味があったと考えられる、明治とは「月日」が治めると書く、月日とは神の「別称」である。

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