初めての神懸かり

また、天照大御神も黒住教祖黒住忠宗(くろずみむねただ)が直覚(ちょくかく)していたような万民の親神という神観念で理解していたに違いない。天照大御神は「朝日」であり「実の神」「元の神」なのである。そうでなければ、クニが後に定めた『二世御かぐら歌』の祭儀と根本的に矛盾(むじゅん)するからである。『二世御かぐら歌』は、みきの『みかぐらうた(御神楽歌)』と瓜二つであり、そこには、みきの精神が息づいている内容となっているのだ。

『二世御かぐら歌』の二世とは、言うまでもなく、中山みきの再生者という意味である。祭神の天照大御神は井出クニの親神・天理王命であり、クニ自身でもあった。クニは、生きながらにして自らの魂を神として祀り込めていたのである。

同年八月十五日の夜には、この家の庭に天から火柱が降ってきて、突き当たったという。落雷と思われるが、その場所は「火柱(ひばしら)」と呼ばれ、現在も根本聖地として護持(ごじ)されている。

3