「世間人は、神の社になることは、さぞ結構なことと思うかも知れないが、神の社になるほど辛(つら)いことはない」と。
親様の所へ、頭が悪い人が助けに貰いに来ると、親様の頭が痛む。また、手の悪い人が助けに貰いに来ると手が痛む。足の悪い人が助けに貰いにくると足が痛む。それが、一旦親様の所に来てお授けをして貰うと、病人が助かる代わりに、今度はその病気が親様の身体に表れるのである。
その近き実例は「奈良」にもある。
(当時)先月の初め親様が、奈良にお出かけになった時のこと、夜、虫歯に悩んでいるひとりの婦人がお願いに来たが、翌朝その婦人が、お礼に来た時には、その婦人の咽喉(いんこう」)の腫(は)れはスーと引いていたが、親様の咽頭部(いんとうぶ)は、拳大(こぶしだい)に腫れていた。これぞ即ち、我が万人の悩みを負わんという大慈悲(だいじひ)の救世主にあらざれば出来ないことである。
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親様を中心として、不思議な事を書き立てれば限りがないが、今その二、三を拾うてみよう。
五年程前に、津村という熱心な信者が、神様の所へ「大根」を上げたが、それが、日が経って腐りかけたので、井出さんがそれを下ろそうとすると、親様は「もう暫(しばら)く、そうして置いてください」と仰せになった。それで、そのままにして置くと、三十日程経って、腐った大根から芽が三本出て、それが二尺程の大きさになり、垂(た)れ柳のようにスラリと伸びて、それに花が咲いて実がなった。今は親様の傍(そば)に大事にして置いてあります。
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親様の身体の特徴の一つに、始終振動しているということに、その時ある男が疑問を懐(いだ)いた。手を握ってみたり、離したりして、親様を試していた。「親様!この手でそこの庭石を持ち上げることが出来たなら、私は本当に神の力だということを信じましょう」と言い出した。
その時、親様は笑っていたが、
「もし、わしが本当にその石を上げたなら、貴方は、わしにどないなさる?」と尋(たず)ねた。
「頭を下げて恐れ入ります」と・・・。
「わしは、人様に頭を下げて頂くことは勿体のうてようしません。それでは、わしの方から、この様に頭を下げさして頂きますから、それで許して頂きたい」と、仰せになった。
流石(さすが)に、不躾(ぶしつけ)のその男も、親様のこの謙遜(けんそん)なる言葉に返す言葉もなく、ともに恐れ入りましたと言って引き下がったそうである。
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